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日露戦争の教材研究の歩み。事実を追究する。

執筆者の写真: 佐藤 琢朗佐藤 琢朗

更新日:2024年1月11日


日露戦争を授業化する。 事実のみを扱う。 事実を時系列で提供して、子ども達が最終的な判断を下すような授業にしたい。 こうなっているからこれを覚えなさい。というような授業にはしたくなかった。 教科書に載っている情報が本当なのか、どんな議論があって、どんな価値があるのか。 様々な情報がある。 だから、教材研究が非常に重要になってくる。 調べ尽くす教材研究である。 教材研究のキーワードは、「古今東西」「一次資料」。 日露戦争を例に教材研究の足跡を残そうと思う。


教材研究の最初は、本。

次のように身の丈の本を集めた。


1-1 本で調べる。


1 原典となる書籍(絵・写真引用書籍)


1 名画にみる國史の歩み 小堀桂一郎 近代出版社

2 秘蔵写真 日露戦争 戦記シリーズ45

3 父が子に語る世界歴史 ジャワーハールラル・ネルー みすずぶっくす

4 朝日クロニクル20世紀 第1巻 朝日新聞社

5 朝日クロニクル20世紀 第2巻 朝日新聞社

6 孫文全集 孫文 東京第一公論社

7 図説 東郷平八郎 東郷神社 東郷会

8 東郷神社パンフレット 2枚 東郷神社 東郷会

9 東郷平八郎小伝 -至誠の栄光- 東郷神社 東郷会

10 神社シリーズ 乃木神社・東郷神社 新人物往来社


2 日露戦争の基礎知識となる書籍


11 坂の上の雲(一) 司馬遼太郎 文春文庫

12 坂の上の雲(二) 司馬遼太郎 文春文庫

13 坂の上の雲(三) 司馬遼太郎 文春文庫

14 坂の上の雲(四) 司馬遼太郎 文春文庫

15 坂の上の雲(五) 司馬遼太郎 文春文庫

16 坂の上の雲(六) 司馬遼太郎 文春文庫

17 坂の上の雲(七) 司馬遼太郎 文春文庫

18 坂の上の雲(八) 司馬遼太郎 文春文庫

19 坂の上の雲をゆく 上 産経新聞取材班 産経新聞社

20 坂の上の雲をゆく 下 産経新聞取材班 産経新聞社

21 日本の戦歴 日露戦争 上 平塚柾緒 学研M文庫

22 日本の戦歴 日露戦争 下 平塚柾緒 学研M文庫

23 世界の歴史20近代イスラームの挑戦 山内昌之 中央公論社

24 新日本史史料集 瀬野精一郎 宮地正人 桐原書店

25 教科書が教えない歴史 自由主義史観 藤岡信勝 扶桑社文庫

26 教科書が教えない歴史 日本と外国 藤岡信勝 扶桑社文庫

27 教科書が教えない歴史 明治、昭和初期 藤岡信勝 扶桑社文庫

28 教科書が教えない歴史 明治、大正、昭和 藤岡信勝 扶桑社文庫

29 国際派日本人養成講座 伊勢雅臣 千年紀書店

30 国際派日本人養成講座 第三巻 伊勢雅臣 千年紀書店

31 国際派日本人養成講座 第二巻 伊勢雅臣 千年紀書店

32 日本歴史 上 白鳥庫吉 勉誠文庫

33 日本歴史 下 白鳥庫吉 勉誠文庫

34 日英同盟 平間洋一 PHP新書

35 バルチック艦隊 大江志乃夫 中公新書

36 ポーツマスの旗 吉村昭 新潮社

37 20世紀の日本人 レジナルド・カ-ニー 五月書房

38 堂々日本史 第5巻 NHK取材班 KTC中央出版

39 歴史誕生 12 NHK歴史誕生取材班 角川書店

40 20世紀特派員1 産経新聞「20世紀特派員」取材 産経新聞社

41 20世紀かく語りき 産経新聞取材班 産経新聞社

42 日本20世紀館 小学館

43 歴史群像シリーズ24号 日露戦争 学研


3 児童用の書籍


44 時代別日本の歴史10 明治時代(後期) 学研

45 時代別日本の歴史11 大正・昭和(前期)時代 学研

46 新版ジュニア地図帳 こども歴史の旅 平凡社

47 時代をきめた114のできごと5 明治時代 三田村信行 PHP研究所

48 小学高学年 社会自由自在 受験研究社


4 世界史から見た日露戦争を考える書籍


49 詳説 世界史 江上波夫 他 山川出版社

50 侵略の世界史 清水馨八郎 祥伝社

51 破約の世界史 清水馨八郎 祥伝社

52 植民地時代 世界歴史シリーズ 世界文化社

53 第一次大戦前後 世界歴史シリーズ 世界文化社

54 ソ連膨張地図の読み方 恵谷治 光文社

55 続・ソヴィエト見聞録 大蔵雄之助 講談社文庫

56 民族世界地図 浅井信雄 新潮文庫

57 目で見る世界の国々 11 トルコ 坂本輝世 国土社

58 目で見る世界の国々 12 インド 小倉泰 国土社

59 目で見る世界の国々 13 エジプト 熊谷哲也 国土社

60 目で見る世界の国々 29 ポーランド 後藤安彦 国土社


5 歴史認識を持つ為の書籍


61 おじいちゃん戦争のことを教えて 中條高徳 到知出版社

62 早わかり 日本史 河合敦 日本実業出版社

63 歴史を裁く愚かさ 西尾幹二 PHP文庫

64 歴史頭脳を持っているか 長谷川慶太郎 青春出版社

65 おもしろ雑学日本史 樋口清之 三笠書房

66 日本の顔。この歳で何をした!! フリープレス 講談社文庫

67 日本人の本能 渡部昇一 PHP文庫

68 かくて歴史は始まる 渡部昇一 三笠書房

69 こんな「歴史」に誰がした 渡部昇一 谷沢永一 文春文庫

70 歴史の読み方 人間の読み方 谷沢永一 光文社

71 戦後 歴史の真実 前野徹 経済界

72 国際情報誌 SAPIO 4/14 小学館

73 生き方探求 人間学誌 到知 2001,2 致知出版社

74 「歴史・公民」全教科書を検証する 三浦朱門 小学館文庫


6 関連書籍


75 「つくる会」という運動がある 小林よしのり 扶桑社

76 新ゴーマニズム宣言 戦争論 小林よしのり 幻冬舎

77 李登輝学校の教え 小林よしのり 李登輝 小学館

78 大東亜戦争、こうすれば勝てた 小室直樹 日下公人 講談社α文庫

79 『教育勅語』のすすめ 清水馨八郎 日新報道

80 教育勅語 杉浦重剛 勉誠出版


7 学習指導要領


81 小学校学習指導要領 平成10年12月 文部省

82 小学校学習指導要領 平成元年 3月 文部省

84 小学校指導書 社会編 昭和44年5月 文部省

85 小学校指導書 社会編 昭和53年5月 文部省

86 小学校指導書 社会編 平成元年6月 文部省

87 小学校指導書 社会編 平成11年5月 文部省

88 改訂 小学校学習指導要領の展開 社会科編 北俊夫 明治図書


8 教科書


89 日本のあゆみ 小学生の社会 6上 (平成12年) 日本文教出版

90 社会 6 上 (平成12年) 教育出版

91 小学社会6年 上 (平成14年) 教育出版

92 社会6年 上 (平成14年) 大阪書籍

93 小学社会6年 上 (平成14年) 光村図書

94 市販本 新しい歴史教科書 扶桑社

95 市販本 新しい公民教科書 扶桑社


9 先行実践


96 東郷平八郎 上原卓 明治図書

97 人物学習でつくる歴史授業 安達弘 明治図書

98 日本がますます好きになる歴史クイズ 安住順一 明治図書

99 授業面白ゼミナール14 教科書・歴史人物面白クイズ 勝又明幸 明治図書

100 トークライン№148「日本人の気概」を教える歴史授業 向山洋一 東京教育技術研究所

101 教え方のプロ・向山洋一全集7 向山洋一 明治図書

102 教え方のプロ・向山洋一全集13 向山洋一 明治図書

103 教え方のプロ・向山洋一全集23 向山洋一 明治図書

104 社会科読み物資料活用=小事典 向山洋一 明治図書

105 飛翔期 向山洋一実物資料集 第7巻 授業編 向山洋一 明治図書

106 向山洋一年齢別実践記録集第16巻 向山洋一 東京教育技術研究所

107 向山洋一年齢別実践記録集第19巻 向山洋一 東京教育技術研究所

108 第3期教育技術の法則化28 社会化教材の授業技術 向山洋一 明治図書

109 小・中学校の「日本史」を20場面で完全理解 向山洋一 渡辺尚人 PHP研究所

110 日本人の気概を教える 渡辺尚人 明治図書

111 法則化社会ネットワーク 1999 10,11 №10 法則化社会研究会

112 法則化社会ネットワーク1999・2000 12,1 №11 法則化社会研究会


10 教育雑紙(バックナンバー)


113 現代教育科学№503 明治図書

114 現代教育科学№506 明治図書

115 社会科教育№491 明治図書

116 社会科教育№494 明治図書

117 社会科教育№497 明治図書

118 社会科教育№499 明治図書

119 社会科教育№500 明治図書

120 社会科教育№503 明治図書


100冊を超えて120冊集めた。

もちろん全て最初から最後まで読んでいるわけではない。

次のような感覚で本が集まっていくのである。

1 原典(特に引用する本)
2 基本となる本があり、その資料を補足していくために集める本
3 立ち読みをしていてキーワードに引っかかってくる本
4 教育雑紙のバックナンバー
5 教科書会社に新しい教科書を送ってもらうように頼んで送ってもらった本
6 文部省や東郷会のように身元のはっきりした団体の本
7 図書館の検索システムで引っかかった本
8 インターネットで引っかかった本
9 以前から興味を持って集めていた本
10 好きな作家の本
11 紹介してもらった本

これらの結果120冊が集まったのである。


1-2 ホームページの検索


ホームページで検索をして、63件をお気に入りに入れた。これまでは、雑多な情報を数多く集めるという作業がされる。集めていく段階において情報が深く集まっていくのである。 本もホームページも信頼のおける情報を数多く集めるということがされて授業の芯となる情報が分かっていく。経験から行くと30冊を超えたあたりから分かり出す。

私のホームページのお気に入りは、16のカテゴリーに分かれている。


ここで、気をつけなければいけないのがインターネットの情報である。本と違って誰でも簡単にホームページを作れるため珠玉混合しているのである。

インターネットによる情報収集について福田和也氏は、次のように述べている。

ただ、私は、書く資料としては、そんなにインターネットは使っていないのです。
データベースの利用とあとは検索ぐらいのものですね。
調べものには便利ですが、なかなか実践的な資料として使うのは難しいと思います。
なぜ、難しいのか。
それは、インターネットの情報というのは、きわめて並列的だからです。
検索エンジンは、それぞれいろいろな工夫をしているようですが、それでも検索によって現れたものが、その性格とか、成り立ちといったものを無視して、平等に並べられているということには変わりありません。(中略)
なぜ面倒かといえば、自分が必要とする情報に近づく、絞り込むということが、非常にやりにくいからです。
『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHP)p117-118

今までは、上のようなやり方のみの研究であった。

しかし、今ひとつ踏み込みが足りない。そこで、メールを活用して教材研究ができないかと考えた。


1-3 メールでのやりとり


1-3-1 TOSS社会メーリングリストとの書簡

私が考えたのは、TOSS社会メーリングリストだった。社会を志す同志が集まっている高度信頼に支えられたメーリングリストだからだ。 次のようなメールを送った。6月1日。



佐藤琢朗@TOSS熊本です。

「日露戦争」を授業化したいと思っています。今日は、本屋に行って

1 歴史群像シリーズ 日露戦争 学研
2 侵略の世界史 清水馨八郎 祥伝社
3 ソ連膨張地図の読み方 恵谷治 光文社
4 続ゾヴィエト見聞録 大蔵雄之助 講談社文庫
5 民族世界地図 浅井信雄 新潮文庫

を買いました。よい本・HPなどありましたらお教え下さい。

日本に誇りを持たせる授業にしたいと思います。

6月5日。熊本の岩崎秀幸氏よりメールが送られた。

◆ 坂の上の雲はどうでしょう
(中略 佐藤)
司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫)はどうでしょう

また、同じ日に安達弘氏も次のように書いた。

「坂の上の雲」が紹介されていたようですが、もちろんこれは必読です。
私はさらに次の2冊をおすすめします。
吉村昭「ポーツマスの旗」(新潮文庫)と岡崎久彦「小村寿太郎とその時代」(PHP研究所)です。
日露戦争はポーツマス講和会議まで視野に入れないと話は完結しません。
どちらも興奮する面白さですよ。
ただし、「坂の上の雲」を読み終わってから読むのをおすすめします。

ありがたい。 すぐにこのようなメールが返ってくるのである。 そこで、もう一歩深く尋ねてみることにした。6月5日。

佐藤琢朗@TOSS熊本です。 栃木の仲山先生が以前MLで発言されていたことに「東郷ビール」のことがありました。 >「東郷ビール」または「トーゴービール」なんてありません。 >フィンランドの「東郷元帥の肖像画のラベルのビール」は >第2次世界大戦後の生まれで,フィンランドの独立とは無縁です。」 >と述べています。 http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/index.htm 上のHPでも確認しました。 しかし、 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog007.htm のHPには、次の言葉があります。 >・フィンランド大統領パーシキピ > 私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初の > ニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。彼 > はすばらしいニュースを持ってきたのだ。彼は身ぶり手ぶりを > もってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して > 聞かせた。フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、 > 戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した。[6] たとえ「東郷ビール」が日露戦争後すぐにつくられたのではないにせよ フィンランド国民が満足したことは、本当なのでしょうか? また、同じHPにある。 >・トルコ > 昭和四十四年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの > 古都ブルサに泊った時、ある古老が片言の日本語を混えて、 > 「ジャポン! ニチロ、アラガート(日本の人たちよ! 日露戦 > 争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。続いて > 古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、息 > 子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブール > の街には、「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語った > そうであります。[7] のようにトルコには、「東郷通り」「乃木通り」があるのでしょうか? どうなのでしょうか?

これに石井研也氏が次のように書いた。6月6日。

TOSSアンバランスの石井です。

実は、自分は東郷ビールについて授業化しました。
テーマは、日本人の気概でした。
先日、フィンランド大使館一等書記官の方から、メールをいただきました。
とても丁寧な長文のメールでした

事実としては、次の2点。
1、東郷ビールとフィンランドの独立とは関係がないということでした。
2、日露戦争では、フィンランド人は本筋においてロシアに対して忠誠を尽くし、1904-05年の日露戦争では、職業兵士ならびに志願兵が日本軍と戦ったとのことです。
つまり、フィンランド人は、ロシア側として参戦している人がいるということです。

マッティ・クリンゲ博士の別の著書で日本語訳のある「フィンランド小史」に
詳しく書いてあるとのことです。私も本を購入しようと思います。

>たとえ「東郷ビール」が日露戦争後すぐにつくられたのではないにせよ
>フィンランド国民が満足したことは、本当なのでしょうか?

自分は、この件に関しても、事実とは言い切ることはできないと考えています。
今のところ、東郷ビールを使った授業については、
慎重にしていかないとと考えています。
自分も社会科ネットワーク誌でも、東郷ビールを活用した授業についての論文を
掲載させていただきました。ご配慮をお願いします。
申し訳ございません。

また、安達氏は同じ日に次のようにメールをした。

私の知っている範囲で情報を提供します。まず、日本海海戦で日本が勝ったことで東郷の名は世界的に有名になった。これは真実です。
しかし、トーゴービールが日露戦争の勝利を記念して作られたわけではありません。
「東郷ビール」は戦後に「世界の提督シリーズ」の1本として「東郷」が選ばれたことでできたものです。(くわしくは名越二荒之助著「反日国家日本」を読んでください)
ここで大事なのは日本海海戦の勝利が東郷を世界的な人物にしたーフィンランドは昔ロシアの属国だったー戦後にその世界的な人物をフィンランドの会社がビールのラベルにした、ということです。
この文脈で授業で使うのは問題ないと思います。ただし、直接「日露戦争を記念して・・・」するのはあきらかに間違いです。
しかも、当時のフィンランド人がロシアを憎んでいたの当然ですし、そのロシアを破った日本に親近感を覚えるのも当然でしょう。
フィンランドのビール会社の人がたくさんの提督の中から日本人・東郷を選んだのは当時のフィンランドの状況と無関係とは思えません。
なお、本当にトルコに東郷通りはあります。これについては名越二荒之助著「世界に生きる日本の心」(展転社)にくわしいです。これは教材研究の宝庫のような本なのでぜひ読むことをお薦めします。

私は、石井氏に当てて次のようなメールを返した。

とても有益な情報ありがとうございます。私もフィンランドのHPを訪れてみました。
どうしても分からない時は、メールしようと思っていたのです。しかし、メールを送る部分が分からなかったのです。

石井先生の書かれている
>事実としては、次の2点。
>1、東郷ビールとフィンランドの独立とは関係がないということでした。
>2、日露戦争では、フィンランド人は本筋においてロシアに対して忠誠を尽くし、
>1904-05年の日露戦争では、職業兵士ならびに志願兵が日本軍と戦ったとのことで
>す。
>つまり、フィンランド人は、ロシア側として参戦している人がいるということです。
>
>マッティ・クリンゲ博士の別の著書で日本語訳のある「フィンランド小史」に詳しく
>書いてあるとのことです。

から考えてみても「フィンランド小史」を見てみる必要がありますね。

http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/amiraali/varma3.htm
のHPには次のようにあります。
>1897年 ピューニッキ醸造会社設立
>1917年 フィンランド国独立(それ以前はロシアの自治大公国)
>1970年 アミラーリ・ビールの販売開始
>(24人のうちの最初の6人が登場するが、本当の「提督」ではない人物も使われる)
>1971年 東郷平八郎のラベルを含む次の6人を発売
>1983年 アミラーリ・ビールの日本初輸入
>1984年 これまでのラベルに加え,新たに12人のラベルを発売。
>これらの中に山本五十六のラベルも登場
>1985年 ピューニッキ社倒産(シネブリコフ醸造会社に経営権が譲渡される)
>1992年 アミラーリ・ビール醸造の出荷停止
>
> 今一度、上記年代にご注目いただきたいと思います。
> フィンランドがロシアから独立したのは1917年のことです。
>フィンランドは、スウェーデン統治時代以降、独立までは、
>自治権のあるロシアの大公国でした。
> アミラーリ・ビールが初めて製造されたのが1970年で、
>東郷平八郎のラベルのアミラーリ・ビールが登場したのが1971年のことです。
>すなわち、フィンランド独立の54年後のことです。
>従って、この東郷アミラーリ・ビールがフィンランド独立に関連していると
>いう記述はまったく間違っております。

これから考えるとフィンランドは、どうか怪しいです。
しかし、フィンランドから「東郷平八郎」のラベルの付いたビールが発売されていたというのは事実です。もう少し調べてみます。

石井氏からは、丁寧に個人メールで大使館のメールを見せてもらった。

しかし、私は、事実を追っていこうと考えた。

そこで、ことの発端であるホームページの制作者にメールすることにした。


1-3-2 jussih氏との書簡


日露戦争で教材として使おうとしているアミラーリビールについて否定的な意見をホームページ上で論じているjussih氏がいる。 jussih氏は、フィンランドで作られた東郷平八郎をラベルにしたビールは、日露戦争と何の関係もないと言う意見を持つ。 私は、7月19日に次のようなメールを送った。

jussih 様
熊本県で教員をしております佐藤琢朗と申します。貴殿のホームページを見ました。
以下の証言に誤りはないと思いました。

1)「東郷のラベルを貼ったアミラーリ・ビール」はありましたが「東郷ビール」「トーゴービール」というものはありませんでした。

2)アミラーリ・ビールが発売されたのは1970(昭和45)年で,日露戦争とは何の関係もありません。
「東郷ラベルのアミラーリ・ビール」は1971(昭和46)年の発売です。

3)1809~1917年の間,フィンランドはロシアの統治下にありましたが,自治大公国として自由を謳歌していました。抑圧に苦しんだのはニコライ二世の治世,それも末期になってからのことです。

4)1992年,アミラーリ・ビールの醸造,出荷が停止され,現在日本で売られている同名ビールはラベルをコピーしたオランダ製で,中身はまったく別物です。

しかし、次のことは、間違いではないと思います。

1 フィンランドで東郷平八郎をラベルにしたアミラーリ・ビールが発売されたこと。
2 フィンランドは、日露戦争当時のツァーリ ニコライ二世の治世に抑圧に苦しんだこと。
3 そして、フィンランドの大統領パーシキピが次の言葉を残していること
私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという
最初のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛び込んできた。
彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。
彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して聞かせた。
フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、
そして多くのことを期待した。『国際派日本人養成講座』(千年紀書店)P75

は、間違っていないのでしょうか?
私は、日露戦争を授業化したいと考えています。
その際、事実だけを提示して、教師の意見は、言わずに子ども達に判断させようと考えています。宜しければ、ご回答をお願いします。
お忙しい中長文を読んで頂きありがとうございます。

7月22日に届いたメールは、次のようだった。

佐藤 琢朗様

拙いページをお読みいただき誠にありがとうございました。
返事が遅くなり申し訳ありません。

1 について
はい,確かに発売されましたが日露戦争や東郷平八郎の業績を賛美して作られたものではありません。単に売上倍増を狙ったもので,日本でいえばカップ酒の国立公園などの風景シリーズラベルやJRや私鉄の列車シリーズラベルと同じ考えのものです。フィンランドは(当然ながら)現在も徴兵制があり,軍隊や歴史の話題は格好のビールのつまみになります。醸造会社はそこを狙って24人(一人は2種あったので25種類)のラベルをビンに貼ったものと思います。そのうちの何種類かが以下のURLでご覧いただけます。

http://user.tninet.se/~plv060g/cans/arkiv/fi/mixed/bcs_fi_mixed01-20.html

2 について
これは私は専門家ではないのでなんとも言えません。
「抑圧に苦しんだ」とは具体的にどのようなことをさしてそうおっしゃられるのでしょうか?。

taku> そして、フィンランドの大統領パーシキピが次の言葉を残し
taku> ていること
taku>
taku> 私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初
taku> のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。
taku> 彼 はすばらしいニュースを持ってきたのだ。
taku> 彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃さ
taku> れたかを熱狂的に話して聞かせた。
taku> フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のな
taku> りゆきを追い、そして多くのことを期待した。
taku> 『国際派日本人養成講座』(千年紀書店)P75
taku>
taku> は、間違っていないのでしょうか?

この本がどのような立場に立って書かれた本か私にはわかりませんのでコメントできません。
同時にこの出典が何によっているのかわかりません。
いずれにせよ教案作成にあたって他人の書いた本からの孫引きは避け,一次資料にあたって構成されるよう希望します。今はインターネットが発達していますので海外の資料収集も居ながらにしてできるいい時代になりました。
お答えになっておらず歯がゆい思いのことと存じますがこれ以上コメントできません。悪しからず。

私は、7月23日すぐに次のようなメールを送る。



Jussih様
佐藤琢朗です。

素早いご返事有難うございます。
アミラーリビールについての深い洞察力に恐れ入ります。

J>はい,確かに発売されましたが日露戦争や東郷平八郎の業績を賛美
J>して作られたものではありません。単に売上倍増を狙ったもので,
J>日本でいえばカップ酒の国立公園などの風景シリーズラベルやJR
J>や私鉄の列車シリーズラベルと同じ考えのものです。
J>フィンランドは(当然ながら)現在も徴兵制があり,軍隊や歴史の
J>話題は格好のビールのつまみになります。醸造会社はそこを狙って
J>24人(一人は2種あったので25種類)のラベルをビンに貼った
J>ものと思います。

日露戦争や東郷平八郎の業績を賛美した物ではなくともフィンランドでビールのつまみになるほどの話しのネタです。東郷平八郎が有名だったという証です。
また、フィンランドでは東郷平八郎を支持する方がいると言うことではないでしょうか?
ホームページの紹介有難うございます。

J>2 について
J>これは私は専門家ではないのでなんとも言えません。
J>「抑圧に苦しんだ」とは具体的にどのようなことをさしてそうおっ
J>しゃられるのでしょうか?。

これは、Jussih様がホームページ内で書かれていることなのです。
私は、そうなのかなと思ったのです。

J>この本がどのような立場に立って書かれた本か私にはわかりません
J>のでコメントできません。同時にこの出典が何によっているのかわ
J>かりません。
J>いずれにせよ教案作成にあたって他人の書いた本からの孫引きは避
J>け,一次資料にあたって構成されるよう希望します。
J>今はインターネットが発達していますので海外の資料収集も居なが
J>らにしてできるいい時代になりました。

これについての御教授大変参考になります。確かに一次資料が大切です。
これでないと授業には扱えません。
出典は、「SUOMEN KUVALEHTI」という物らしいのです。
尋ねてみます。海外の資料なども当たってみたいと思います。
その点で参考になるような資料があれば御教授下さい。

孫引きでは立場によって書かれていることが変わってきます。
一次資料を丁寧に当たりたいと思います。有難うございました。

jussih氏からは、次のようなメールが届く。7月24日。

佐藤琢朗様

1点気になりましたのでコメントします。
(前略 佐藤)
taku> 日露戦争や東郷平八郎の業績を賛美した物ではなくとも
taku> フィンランドでビールのつまみになるほどの話しのネタです。
taku> 東郷平八郎が有名だったという証です。
taku> また、フィンランドでは東郷平八郎を支持する方がいると言うことではないでしょうか?

いいえ,私が言いたかったのは「東郷もラベルになった24人のうちの一人」だった,ということです。24分の1だった,ということで「有名」だったとか「支持する方が」いたとかという意味ではありません。

taku> ホームページの紹介有難うございます。

このページを紹介したのも,東郷が24分の1だった,ということの証として例示したものです。
逆に私が疑問に思うのは,これら24人の中に山本五十六も入っていますが,どうしてこの人は話題にならず,東郷のみを特別扱いするのか,不思議です。
「日露戦争」→「東郷平八郎」→「フィンランド」→「ビール」という伝言ゲームのようなつながりに固執するそこには何か別の意味の思惑が働いているのではないでしょうか。では。

それに対する私の返事は、次のようなメールであった。7月24日。

Jussih様
佐藤琢朗です。

丁寧なご返事有難うございます。深い洞察力と行動力に感服します。教師として日露戦争をどう授業するか?を考えた時にいろいろな意見を取り入れておかねばならなかったのです。
(略 佐藤)

jussih氏は、どうしても日露戦争とフィンランドが関係ないと主張したいようであった。 確かに、日本とロシアが戦った時フィンランドの兵士として日本と戦った。しかし、ロシア化の波に押されての出来事であった。戦ったことも事実ならフィンランドの首相パーシキビが言ったことも事実なのである。どちらを取り上げて授業するかは、教師に任されている。教師は、任されている代わりに真実を深く探っていく必要がある。

そこで、7月23日に次のようなメールを参加しているメーリングリストに当てて送っていた。GNPというメーリングリストである。


1-3-3 GNPメーリングリストでの書簡


gnpの皆様
佐藤琢朗と申します。熊本県で教師をしています。
いつも興味深く拝見しています。

ところで日露戦争のことを授業で扱おうと考えています。しかし、次のことが引っかかっています。アミラーリビールのことです。東郷平八郎元帥がラベルにのっているビールです。最初フィンランドで生産されていたようです。
そのことについて
http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/index.htm
では、日露戦争や東郷平八郎には、何の関係も無いというのです。
しかし、私は、日露戦争や東郷平八郎の業績を賛美した物ではなくともフィンランドでビールのつまみになるほどの話しのネタです。東郷平八郎が有名だったという証です。
また、フィンランドでは東郷平八郎を支持する方がいると言うことではないでしょうか?

また、『国際派日本人養成講座』第2巻のp74の日露戦争の世界的意義で書かれている事を授業に取り扱いたいと思います。しかし、孫引きです。一次資料が大切です。これでないと授業には扱えません。フィンランドの大統領パーシピキのせりふの出典は、「SUOMEN KUVALEHTI」ですが、どの様な資料なのでしょうか?教えて下さい。

また、海外の資料なども当たってみたいと思います。
その点で参考になるような資料があれば御教授下さい。

その日の内に次のようなメールが届く。

佐藤琢朗様
引用されたホームページでは、

>元帥の肖像画のラベルのビール」は第2次世界大戦後の生まれで,フィンラン
>ドの独立とはまったく無縁です。

とありますが、戦後生まれかどうかは知りませんが、だから独立とは関係ないとは、論理の飛躍があります。フィンランドは、第2次大戦もソ連と戦いますが、これを将軍マンネルヘイムは「継続戦争」と名付け、独立戦争の続きと認識していました。
フィンランドの独立への苦闘は、以下に記事としています。

117 フィンランド、独立への苦闘
ヒットラーのドイツとスターリンのソ連にはさまれ、フィンランドは孤立した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog117.html

ちなみに第2次大戦が、民主主義国対全体主義国という図式は、フィンランド対ソ連ではまったく当てはまりません。アジアでも、フィンランドでも民族解放戦争の一面があったことを知るには、フィンランド側から見た歴史が良い視点となりましょう。
JOGで参照した資料は、名越二荒之助先生の「世界に生きる日本の心」(展転社)です。
同書には、次のようにフィンランドの雑誌を紹介しています。

> 東郷ビールを製造しているピューニッキ社のムーベリー社長は、来日して正
>式に東郷神社に正式参拝しました。我々が開いた歓迎会の席上で、、、

とあり、このムーベリー社長が帰国後に贈ってくれたのが、「日露戦争80周年特集」を組んだ「SUOMEN KUVALEHTI」という雑誌でした。
名越先生の本では、その雑誌の紙面を写真で載せ、また冒頭の一部の訳を載せています。

さらに東郷ビールの詳細については、「詳しくは拙著「反日国家日本」参照」とあります。
これは昭和59年、山手書房刊とのことです。私はこちらは見ていません。

名越先生は、最近は「昭和の戦争資料館」全4巻を刊行中ですが、現地取材と写真中心のもので、歴史授業の材料には適していると思います。
歴史教育正常化のため、今後とも、よろしくお願いします。
授業が出来ましたら、JOGの「教育者の頁」でもご紹介したいと思いますので、お知らせ下さい。

7月24日

伊勢 様
佐藤琢朗です。
『日露戦争』への回答有難うございます。多くの疑問点が解消されたようです。

JOG>とありますが、戦後生まれかどうかは知りませんが、だから独立とは関係ない
JOG>とは、論理の飛躍があります。フィンランドは、第2次大戦もソ連と戦いますが、
JOG>これを将軍マンネルヘイムは「継続戦争」と名付け、独立戦争の続きと認識して
JOG>いました。

論理の飛躍があったのです。
一次資料を参考にされたしなどと言われている点に置いてもおかしいのです。
しかし、
>フィンランドのビール愛好者クラブから確証を得た私は,在日フィンランドセンター
>・在日フィンランド大使館を訪ね,このような間違いが日本では流布され,今や「常
>識」にまでなりつつあると訴えました。同大使館は独自調査の後,外務省ほか関係筋
>に文書を送りました。
> その結果を私に対し報告がありました。重要な部分を以下に抜粋掲載します。
http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/amiraali/varma3.htm

とする在日フィンランド大使館の文書は、大義名分としては、良いように感じます。
これも韓国政府と同じように外圧の力でしょうか?
ロシアとの関係をこじらせたくない意識が働いているのでしょうか?
この文書のおかげでアミラーリビールを教材として使いづらくしています。

しかし、
J>> 東郷ビールを製造しているピューニッキ社のムーベリー社長は、来日して正
J>>式に東郷神社に正式参拝しました。我々が開いた歓迎会の席上で、、、
J>
J>とあり、このムーベリー社長が帰国後に贈ってくれたのが、「日露戦争80周年特集」
J>を組んだ「SUOMEN KUVALEHTI」という雑誌でした。名越先生の本では、その雑誌
J>の紙面を写真で載せ、また冒頭の一部の訳を載せています。

では、ムーベリー社長の正式な参拝が有っているという事実が分かりました。
そこで確証を得ました。アミラーリビール(東郷ビール)を教材として使うことは適当ですね。

7月24日

佐藤 琢朗様

>フィンランドのビール愛好者クラブから確証を得た私は,在日フィンランドセンター
>・在日フィンランド大使館を訪ね,このような間違いが日本では流布され,今や「常
>識」にまでなりつつあると訴えました。同大使館は独自調査の後,外務省ほか関係筋
>に文書を送りました。
> > その結果を私に対し報告がありました。重要な部分を以下に抜粋掲載します。
> http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/amiraali/varma3.htm

この文書の歴史事実はおおむね正しいと思いますが、その解釈には納得できません。
独立の英雄マンネルヘイムは、私が一昨年ヘルシンキに行ったときも、展示会やら、劇やらで盛んに顕彰されていましたし、その記念館に行ったら、小学生の一団が見学に来ていました。
この文書には、

>日露戦争(1904-05年)におけるロシアの敗北がフィンランド国家独立の誘因
>となったという明確な論拠を見出すことはできません。

というような一節がありますが、明石大佐の活動を知らないようですね。日露戦争中に、明石大佐がヨーロッパでの反ロシア勢力を結集し(その中心がフィンランド人でした)、それが帝政ロシアを打倒し、その革命騒ぎの混乱に乗じて、マンネルヘイムをリーダーとするフィンランドが独立を勝ち得たのです。

JOG176 明石元二郎~帝政ロシアからの解放者
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog176.html

には、次のような一節を書きました。
------------------------------------------------------------
当時のストックホルムは北欧の反露活動の中心地であった。 明石は、早速、活動を開始した。ストックホルムの旧市街はバルト海に面したスターデン島という小さな島にあり、中世の狭い曲がりくねった石畳の道が上り下りしながら続いている。その一角に住むフィンランド憲法党党首カストレンのアパートを訪ねた。フィンランド革命党党首シリヤクスも一緒である。カストレンの個室に入った明石は驚いた。明治天皇の肖像が掲げられている。明石が理由を聞くと、こう答えた。
われわれフィンランド人は、この皇帝を尊敬しています。東洋の一島国日本をして、巨大な清国を圧倒せしめ、日本の近代化を実現し、世界の一流国に仕立て上げました。
かつわれわれの宿敵であるロシアと戦うまでに国力をつけてきたのです。
フィンランドは、残念ながらロシアの属国です。しかし、日本はそうならずに、堂々と戦っています。われわれは、この皇帝を尊敬し、日本の勝利をいのるのみです。
明石から資金提供を受けた二人は、欧州各国の反露活動家と連絡をとりあった。明石がレーニンを訪ねたのも、シリヤクスからの紹介である。
---------------------------------------------------------------

7月24日

伊勢 様
佐藤琢朗@TOSS熊本です。

今回の日露戦争について『20世紀特派員』1(産経新聞取材班)でも情報がありました。

1 明石大佐の話
2 独立の英雄マンネルヘイム
3 反ロシア勢力
4 ピューニッキ社の社長の参拝
5 フィンランドに対するロシア化の政策

の裏付けがとれました。

最後に送ったメールは次のようなものであった。

GNP の皆様
佐藤琢朗と申します。

「日露戦争」については、お世話になりました。
ところで、8月8日に東京の原宿「東郷神社」に行って参りました。
そこで神主の方とお話しする機会があってアミラーリビールを造ったムーベリーさんが、参拝されていたことまた、国連のガリ元総長が5・6回来られていることを聞きました。

そこで更に日露戦争が世界史に大きく貢献したことを感じました。

お守りを買ってきました。
東郷元帥は、勝負の神様とのこと大変有意義な旅でした。

1-3-4 『新しい歴史教科書』(扶桑社)との書簡


また、原典にあたるために『新しい歴史教科書』(扶桑社)P223の出典について尋ねた。8月11日。

扶桑社 様
熊本県で教師をしております佐藤琢朗と申します。

『市販本 新しい歴史教科書』(扶桑社)の動向を応援しています。
その歴史教科書について質問です。

p223に「日露戦争と独立への目覚め」とありますが、何を見て取り上げたのでしょうか?
私も日露戦争を教材化するために調べているのですが、どの資料を見ても分かりません。
お教え下さい。(孫文は、神戸での演説でしょうか)

1 孫文
2 ネルー
3 シーラーズィー
4 ムスタファーカミール

です。また、その他に独立への目覚めの資料がありましたらお教え下さい。

8月13日に届いたメールはうれしいものであった。

佐藤琢朗様

メール、どうもありがとうございました。
お問い合わせの件、以下のとおりです。
①孫文=外務省調査部『孫文全集』(原書房、1967年)
1136ページ(第7編 大亜細亜主義)
②ネルー=ネルー『父が子に語る世界歴史』
(第3巻、みすず書房、1974年)182ページ
③カミール=山内昌之『世界の歴史20 近代イスラームの挑戦』
(中央公論社、1996年)388ページ
④シーラーズイー=同上、392ページ
以上でございます。

なお、余談ですが、私はTOSSの向山洋一先生とは、PHPの頃から懇意にさせていただいており、
扶桑社に移籍したあとも、『学校の失敗』などでお世話になっております。
先生方のご活躍をお祈り申し上げます。

扶桑社 書籍編集部

このような暖かいメールをもらうと研究していてうれしい。

早速、言葉を確認するために原典にあたる。

ところで、なぜ原典にあたることが必要なのであろうか。確実な情報を集めるためであるが、孫引きではいけない理由がある。

(孫引きとは・・・間に何かを隔てており、直接は結びつかないこと)『新明解国語事典』

東中野修道氏は『『南京虐殺』の徹底検証』で次のように述べた。

歴史学研究の方法論では、資料の信頼性を6段階に分ける。
一等資料とは、ある事件が発生した時に、その場所で、当事者が残した資料を言う。
二等資料とは、当事者が、異なる時間か、場所で残した資料。
三等資料とは、一、二等資料を基にして、編集・公表したものである。
以上の3つを根本資料といい、歴史学研究はここまでの資料に基づかねばならない。

四等資料とは、資料作成の時・所・作成者が定かではない記録、
五等資料とは、資料作成者がいかなる方針で調整したか分からない資料、
六等資料とは、それ以外の記録である。これらは単なる参考資料と呼ばれ、それだけでは何の証拠にもならない。 『『南京虐殺』の徹底検証』

教師は、授業をする上でこのような視点を持って資料を集めているのであろうか。

子どもに嘘を教える罪は大きい。

三等資料までを授業で扱うことにする。その為に原典にあたるのである。


1-3-5 法則化大阿蘇東光弘氏との書簡

東です。(長文です。思ったことを書きます)
日露戦争。
戦争は、本当にアジア、日本を助けるためにしなければならなかったのでしょうか?
日本が、自分の国が有利になるために行ったと言うところはなかったのでしょうか?
そして、そのために多くの人が亡くなったという現実はなかったのでしょうか?
日本人が、ロシア人が。
そこが、引っかかっています。
戦争は、いかなる理由があったにしろ私は間違いだと思います。
人が人を殺し合うことに正当性はないと思います。
お国のために、いや自分の家族のために、自分の家族が殺されるかもしれない、
自分の家族を守るために戦争に行って亡くなった人、
また戦った人に対してすごく立派で、日本人として戦った人を誇りに思っています。
しかし、それを起こした戦争に対しては絶対反対です、どの戦争に対しても肯定できません。
この授業、一番最初の模擬授業を見たときから、曖昧さを感じていました。
先生自身、東郷平八郎はすごい人だが、
戦争については肯定できないという感じがあったのではと思います。
だから、授業の発問、授業の終末がぶれています。
授業が終わって、「そうか、そうだったのか」と納得する人と、「そうかな」と思う人に分かれる授業だと思います。
先生は、「日露戦争に対してやってよかった」といえますか?「戦争をやってよかった」といえますか?
(日本軍のアジア侵略という考えはなかったのでしょうか?)
日本人ってすごいという授業を組む場合、いろんな角度から見てもすごかったんだという授業を組んで行くべきだと思います。

日露戦争、戦争の流れで追うのではなく、東郷平八郎の生き方で追ってほしかったと思います。 

私は、東氏に当てて次のようなメールを送った。

東先生
佐藤琢朗@TOSS熊本です。
ご批判ありがとうございます。やはり批判を受けてみて分かることがあります。

私の考えを書きます。
1 当時の時代背景に沿いたい
日露戦争当時は、強い国が弱い国を占領するのは、当たり前の時代です。
弱肉強食です。

その中でも大航海時代から始まる西洋諸国の他人種による搾取はひどいものがありました。
アフリカにいた黒色人種には、運動能力の高い方が多いです。
それは、体の強い奴隷を作るためにより強い個同士を結婚させたりしていました。
今とは比べものにならないほどの人種差別です。
ご多分に漏れず黄色人種も差別されてきました。
戦争がいけないとするならば先にしたものがちの状態が続くことでしょう。
だから、独立戦争を戦った兵士達を国を挙げて祭るのです。

この時代は、清はおそれられていたかもしれませんが
アフリカ、東南アジア、インドは、独立国とは言えませんでした。
教育力は、極端におさえられ、愚民化政策がとられていました。
プランテーションで単一作物を作らされ、原料として西洋諸国に送られ、
貧しい国は、どんどん貧しくなるばかりでした。
現在でもベルギーのゴディバ(チョコレート)は、カカオが原産でガーナを植民地にしていた名残があります。
また、南北問題の全てが、このころの帝国主義によって作られました。
アフリカの直線で区切られた地図がそれを物語っています。
食うか食われるかそのような時代だったのです。

2 日露戦争の意義

日本も関税自主権が無く、治外法権が認められていました。
これらの状況を打破するための戦争なのです。戦争は、政治の一手段にすぎません。
『戦争論』(幻冬社)には次のようにあります。
『「平和」という(状態)の反対は・・・「混乱」という(状態)
では、戦争の反対は?
「戦争」という(手段)の反対は・・・「話し合い」という(手段)
戦争は、外交の延長であり話し合いで双方がどうしても折り合いがつかぬ場合にやむなく用いる手段である』
日本は、ロシアに満州から出ていくように話し合いを持ちかけます。
しかし、不凍港を求めるロシアは、さらに南下して朝鮮の馬山浦に来航、武装兵を上陸させて同地の租借とその沖合の巨済島の不割譲を要求するという事件があったのです。
もう朝鮮まで来ています。
話し合いで折り合いがつかないから「戦争」という手段を使います。
現在でもアメリカは、政治的に戦争を始め、政治的に戦争を終えます。

日露戦争は、当時上り龍だった日本と北の強大国ロシアの主権争いと言う向きもあるかもしれません。しかし、日本がロシアに勝ったことが他国を喜ばせている現実があります。上のような時代に風穴を開けた戦いであったことは間違いありません。

東氏は、次のように書かれています。
>先生自身、東郷平八郎はすごい人だが、戦争については肯定できな
>いという感じがあったのではと思います。
> だから、授業の発問、授業の終末がぶれています。授業が終わって、
>「そうか、そうだったのか」と納得する人と、「そうかな」と思う人に
>分かれる授業だと思います。
>先生は、「日露戦争に対してやってよかった」といえますか?「戦争を
>やってよかった」といえますか?(日本軍のアジア侵略という考えはな
>かったのでしょうか?)

私は、東郷平八郎は、すばらしい人物だと思います。
しかし、それ以上に「ロシア」と言う大国をうち負かした日本に誇りを覚えます。
当時面積で60倍。人口で3倍。の国を相手にするのは日本だけだったのです。
他の国は、均衡を保ちながら一緒に植民地を増やしていくものたちです。
歴史にifはありませんが、もし日本が戦っていなかったとしたら世界地図は、数本の色鉛筆で塗り分けられる存在でしかなかったと考えています。
クラスにある現象と同じです。
誰か一人が成し遂げるとそれに付随して何人も成功者が出てくる。
その最初の一人に日本がなったのだと考えます。
だからこそインドのネールの言葉
『日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。そして、インドでは、われわれの多くがとらわれていた劣等感情を軽減した。』
中国の孫文の言葉
『日本がロシアに勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望をいだくにいたったのです。』とする言葉が生まれたのだと考えます。

3 アジア侵略という考え

日本軍のアジア侵略という考えを持つ人は多いかもしれません。
しかし、戦ったのは、ロシアとです。侵略とは、その国と戦わなければ行けません。
アジアの国とは、戦っていないのです。戦場がアジアだったのは、そこにロシアがいたからです。
その後の日本の帝国主義に入り込んだのは、時代の流れでしょう。
しかし、その中でも韓国併合に対して石川啄木のように
「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨を塗りつつ 秋風を聴く」
と考えることのできる日本人がいることも誇りに思うべきでしょう。
特に現在の感覚で良い悪いを判断しがちですが、私たちが扱うのは、事実です。
これを通して歴史を考えるのです。

私の授業では、9割の原典にあたりました。現地にも出かけています。
そして、事実の整合性を確かめました。

しかし、私たちは、日本人の教師です。事実を組み合わせて日本人の教師が日本に誇りを持たせる授業をすることは、至極当然のことなのです。

このような教材研究の上で授業を組み立てた。


戦争は、くり返してはいけないことである。

しかし、念仏のように唱えておけば平和になるものではない。しっかりと過去の歴史に学びくり返さない知恵を得るべきなのだ。

私は、戦争を肯定するわけではないが「日露戦争」を戦った当時の日本人の気概に感動する。また、外交というものが意味を持って国の運命を左右する時代であったことに思いをはせる。


3 現地検証


福田和也氏は次のように述べる。

現地に行くことで、書き物の質はまったく変わったものになります。
『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHP出版)

私は、実際に東京の原宿にある「東郷神社」にお参りをした。現地を踏みたかったのである。東郷平八郎の空気というか、雰囲気をつかめたような気がする。

朝早くからお参りをするのだがそこの神主さんは、遠くから来た私にお話をしてくれる。

また、ひっそりと静まりかえった境内は、朝の気持ちのいい風が吹く。

愛されている東郷平八郎の姿を見た。

授業化する場合、現地に赴き感覚をつかむことも必要であろう。

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