原爆投下の真実
学習指導案(第6学年 社会科学習指導案)
1 題材
原爆投下の真実
2 題材について
原子爆弾は1個で広島では約15万人、長崎では約7万人の人命を瞬時に奪った。そのほとんど(65%)は老人・子ども・婦人などの非戦闘員だった。
当時の国際法(陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則〔抄〕)では次ように定められていた。
第二二条 交戦者ハ、害敵手段ノ選択ニ付、無制限ノ権利ヲ有スルモノニ非ス。
(ハーグ陸戦条規22条)
第二三条 特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止ノ外、特ニ禁止スルモノ左ノ如シ。
ホ 不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト
(ハーグ陸戦条規23条ホ)
第二五条 防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。(ハーグ陸戦条規25条)
出典 http://homepage1.nifty.com/arai_kyo/intlaw/docs/hr.htm
第一次世界大戦後の1925年、毒ガスはあまりにも残忍な兵器だとして、毒ガスや細菌兵器の使用を禁止するジュネーブ議定書が結ばれ、日米はもちろんほとんどの国が批准した。新しい武器である原子爆弾についての明確な条約はなかった。しかし、原子爆弾がどんな化学兵器や細菌兵器よりも残忍な兵器であることは、明白である。
その原子爆弾を、アメリカは、ネバダで初の原爆実験成功後1カ月もたたない内に、日本の非戦闘員に投下した。
歴史にifはないが、もし、第二次世界大戦について、勝者・敗者を超越した法廷が設けられたとしたら、トルーマン大統領ら当時のアメリカの指導者に対して、「人類に対する罪」でナチス・ドイツ、大日本帝国の指導者同様、有罪判決が下されたことは間違いない。
しかし、当時も今も、アメリカ人に、原爆投下が「人類に対する罪」であるという意識はまったくない。
アメリカ大統領のトルーマンの言葉は、その代表的な意見である。
『原爆の投下によって戦争が終結し、何百万もの命が救われた。』(1959年4月28日)
原子爆弾投下を正当化する論理は今も一般的にまかりとおっている。
スミソニアン博物館の原爆展中止などアメリカの世論は、それによって動かされているからである。
向山洋一氏は次のように述べる。
『「原爆投下」は必要なかったという視点があってはじめて、「原爆の恐ろしさ」「戦争の悲惨さ」「原爆の被害」は、立体的になってくるのである。それを、表面的な一方の側のみの考え方で「原爆」を語らせてきた日本の教師は、その不十分さを自覚すべきである。』
『教育科学 社会科教育』1999年1月号(明治図書)
この授業では、「原爆投下」は必要なかったとする視点に立ち、国際法違反である戦争犯罪を事実に基づいて推量することができるようにする。
3 本時の授業
(1)目標
「原子爆弾の投下」の意図を事実に基づいて推量することができる。
(2)展開(20分)
4 教材研究
4-1 マンハッタン計画
原典は、『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)である。
凡例には次のようにある。
『一 本書は、主に米国政府部内の政策文書を中心に、マンハッタン計画(原爆の開発、製造、使用)に関する資料を編集・翻訳したものである。』
資料には、次のレベルがある。
歴史学研究の方法論では、資料の信頼性を6段階に分ける。
一等資料とは、ある事件が発生した時に、その場所で、当事者が残した資料を言う。
二等資料とは、当事者が、異なる時間か、場所で残した資料。
三等資料とは、一、二等資料を基にして、編集・公表したものである。
以上の3つを根本資料といい、歴史学研究はここまでの資料に基づかねばならない。
四等資料とは、資料作成の時・所・作成者が定かではない記録、
五等資料とは、資料作成者がいかなる方針で調整したか分からない資料、
六等資料とは、それ以外の記録である。これらは単なる参考資料と呼ばれ、それだけでは何の証拠にもならない。
『Japan On the Globe (79)』http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm
『資料 マンハッタン計画』は、三等資料であり、根本資料にあたる。
根本資料に基づいてマンハッタン計画を再考する。なお、一等資料は、1970年代にアメリカの国立公文書館などから
マイクロフィルムの形で出版されている。
4-2 対日原爆使用への歩み
さて、対日原爆使用は、いつの時点で誰が決定しているのか。1943年5月5日の軍事政策委員会が日本への原爆使用を示唆している。大統領が任命した軍事政策委員会は最高政策グループとして設置されていた。
メンバーは、
①グローヴズ少将、②ブッシュ博士、③コナント博士、④パーネル少将、⑤スタイアー少将。
この軍事政策委員会において次のような会議がもたれた。
資料135 軍事政策委員会政策会議 1943年5月5日
グローヴズ将軍から報告された措置
(略 佐藤)
5 最初の爆弾の投下地点について意見が交わされたが、最適の投下地点はトラック 港に集結している日本艦隊であろうというのが大方の意見のようであった。スタイ アー将軍が東京を挙げた。しかし、爆弾が爆発しなかった場合、簡単には回収でき ないほど十分な水深のある海域に落下するように場所を選んで投下すべきだ、との 指摘があった。日本人が選ばれたのは、彼らが、ドイツ人と比較して、この爆弾か ら知識を得る公算は少ないとみられるからである。
『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
『最初の爆弾』とは、原子爆弾のことである。
第一に『日本人が選ばれたのは、彼らが、ドイツ人と比較して、この爆弾から知識を得る公算は少ないとみられるからである。』とある。
1943年というとドイツ軍が北アフリカ戦線で降伏したとはいえ戦況はまだ予断を許さなかった、その時点での決定である。
日本に対するアメリカの差別意識が見られるとする意見がある。
広島の原爆投下を知ったサルトルは『白人種の上にだったら彼らもあえてなしえたか疑問だね。黄色人種だからね~。彼らは黄色人種を忌み嫌っているんだ。』と述べたといわれている。
しかし、授業では扱わない。差別意識のようなものは、限定できない。一般論にならない。事実だけが分析される。
第二に『最適の投下地点はトラック港に集結している日本艦隊であろうというのが大方の意見のようであった。』とある。
投下地点として「トラック港」を選び無差別大量殺傷を避ける方法がとられようとしていたのであった。
第三にスタイアー将軍の挙げた『東京』は、「東京湾」と考えられる。
次の『爆弾が爆発しなかった場合、簡単には回収できないほど十分な水深のある海域に落下するように場所を選んで投下すべきだ、との指摘があった。』の部分から推測する。
投下地点として「東京湾」を選び原子爆弾の威力を事前に日本人に知らせるという方法がとられようとしていたのであった。
どちらも国際法(交戦者ハ、害敵手段ノ選択ニ付、無制限ノ権利ヲ有スルモノニ非ス。ハーグ陸戦条規22条)を守る姿勢にも繋がる。
ところが、その後、もっとも壊滅的な投下の仕方が検討されていくのである。
原爆投下の目標を検討するための委員会が結成された。
メンバーは、
①グローヴズ少将、②ノースタッド准将、③ファレル准将、④フィッシャー大佐、⑤デリー少佐、⑥フォン・ノイマン博士、⑦ウィルソン博士、⑧ペニー博士、⑨スターンズ博士、⑩デニソン博士。
重なっているメンバーは、①グローヴズ少将だけである。
資料146 目標検討委員会初回会議覚書 1945年4月27日
(略 佐藤)
規準は次のとおりである。
a B-29の最大航続距離は1500マイル。
b 有視界爆撃が不可欠。
c 目標上空の全般的気象状態。
d 予想される爆弾の爆風効果と被害。
e 日本の都市地域、つまり工業地域における七月・八月・九月の爆撃状況を知る必要。
f 戦闘グループは、一つの主要目標と二つの代替目標をもつこと。
『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
この第一回目標検討委員会では、前提条件として『e 日本の都市地域、つまり工業地域における
七月・八月・九月の爆撃状況を知る必要。』があると述べる。
なぜなら、『(5)目標を選ぶさいしては、第20航空軍が、日本のすべての主要都市を壊滅させることを第一の目標として作戦を行っていること』が挙げられるからである。壊滅させられた都市は、狙わないのである。その結果、特定目標は次のような基準が提言されている。
a より広い人口集中地域にあり、少なくとも直径3マイル以上の広さをもつ都市地域について検討を加えるべきである。
b 目標は、東京・長崎二都市間に位置する地域とする。
c 目標および(または)目標地点は、高度の戦略的価値をもつものとする。
d 次の地域が研究対象として適当と考えられる。東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保。
e 陸軍・海軍統合目標検討グループは、前掲の17地域のうち、すでに破壊された地域を除外すべきである。
『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
すでに「トラック港」は消されている。
2年の間に戦況は変わった。1944年11月24日にマリアナ基地のB29が東京を爆撃し、1945年3月10日には、東京大空襲が行われている。
また、1945年4月1日はアメリカ軍による沖縄本島上陸が始まったのである。
この時点で目標検討グループでは、原爆投下の候補地17地域が選ばれている。
『e 陸軍・海軍統合目標検討グループは、前掲の17地域のうち、すでに破壊された地域を除外すべきである。』
破壊された地域が増えてきているのである。
この17地域が第二回会議では次のように検討された。
5月7日にドイツが無条件降伏をし、ヨーロッパ戦線が収束した後のことである。
資料151目標検討委員会第二回会議の要約-L・R・グローヴズ少将にあてた覚書
1945年5月11日
主題-1945年5月10日および11日の目標検討委員会会議の要約
(略 佐藤)
6 目標についての評価
A スターンズ博士は、博士が行ってきた目標選定作業について述べた。博士は、考えられる目標の中で次の条件を具えたものについて調査した。
すなわち、
(1)直径3マイル以上の大都市地域にある重要目標であること、
(2)爆風によって有効に損害を与えうること、
(3)八月までに攻撃〔通常の攻撃〕を受ける可能性のないこと、
の三点である。
スターンズ博士は、不測の事態が発生しないかぎり、われわれのために空軍が積極的に残しておいてくれそうな5つの目標のリストをもっていた。
それらは次のとおりである。
(1)京都-この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。
それは、日本のかっての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、
現在では、多くの人びとや産業がそこへ移転しつつある。
心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、そこの住民は、この特殊装置のような兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある。(AA級目標に分類される。)
(2)広島-ここは、陸軍の重要補給基地であり、また、都市工業地域の中心に位置する物資積み出し港である。
広島はレーダーの格好の目標であり、広い範囲にわたって損害を与えることの出来る程度の広さの都市である。隣接して丘陵地があり、それが、爆風被害をかなり大きくする収束作用を生むであろう。
川があるので、焼夷弾の目標としては適当ではない。(AA級目標に分類される。)
(3)横浜-この目標は、これまでのところ、まだ手がつけられていない重要都市工業地域である。
工業活動としては、航空機・工作機械・電気設備の製造が行われ、ドックや精油所がある。東京の被害が増すにつれて、新たな工業が横浜へ移転した。そこは、最重要な目標地域が広い水域によって分離され、対空火器が日本で最も密に集中しているという不利な点がある。われわれにとっては、検討されてきた他の目標からやや遠く離れているので、悪天候の場合の代替目標になるという利点がある。(A級目標に分類される。)
(4)小倉兵器廠-日本最大の兵器廠の一つであり、都市工業施設に囲まれている。この兵器廠は、軽兵器、対空火器、上陸拠点防衛機材〔の製造〕にとって重要である。兵器廠の面積は、4100フィート×2000フィート。その規模は、爆弾が的確に投下された場合には、爆弾直下の気圧上昇の効果が十分に発揮され、比較的に堅牢な建造物を破壊すると同時に、もっと遠くにある、比較的に脆弱な建造物に対してもかなりの爆風被害を与えることのできる程度である。(A級目標に分類される。)
(5)新潟-ここは、本州の西北海岸にある物資積み出し港である。他の港市が損害を受けるにつれて、その重要性が高まりつつある。ここには工作機械産業があり、工場疎開の潜在的受け皿である。精油所と貯油所がある。 (B級目標に分類される。)
(6)宮城爆撃の可能性が議論された。
われわれとしてはこの爆弾は勧告すべきではなく、その決定は軍事政策当局によって下されるべきであるということが合意された。
『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
これらの都市に共通するのは、
(1)直径3マイル以上の大都市地域にある重要目標であること、
(2)爆風によって有効に損害を与えうること、
(3)八月までに攻撃〔通常の攻撃〕を受ける可能性のないこと、
極論するならば「無傷の大都市」という理由をつけて、実験のために原爆投下をしたとしか考えられない。
AA目標に分類されている「京都」も「広島」も山に囲まれ、市街地が密集しているという条件を満たしているのである。また、この第二回会議では、心理的要因も考慮されている。
7 目標選定上の心理的要因
A 目標選定上の心理的要因は非常に重要であるとする点で意見が一致した。
この問題の二つの側面は、
(1)日本にとって不利となるような最大の心理的効果を上げること、
(2)この兵器を初めて使用するさいには十分にこれを劇的なものにし、
兵器に関する情報が公開されたときに、その重要性が国際的認知されるようにすること、である。
B この点で京都は、住民の知的レベルが高く、したがって、この兵器の意義を正しく認識する能力が比較的に高いという利点がある。広島は、広域にわたって破壊しうる規模の広さを持ち、付近に丘陵地があるため、〔爆風の〕集束作用が得られる可能性があるという利点を持っている。
東京の宮城は、他のいかなる目標にもまして有名であるが、戦略的価値は最も小さい。『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
原爆投下がもたらす被害は、それまでの爆弾と全く違っていることについて「放射線医学的効果」も予想されている。
資料150 J・R・オッペンハイマーからT・F・ファレル准将にあてた覚書
1945年5月11日
5月10日のわれわれの協議に基づき、特殊爆弾から予想される放射線医学的効果について、以下に簡単な要約を提出いたします。(略 佐藤)
A 検討中の爆弾は、爆発にともない放射線および放射性物質を発生するという点で、通常の爆弾とは異なる。
1 爆弾自体の放射性物質には毒性がある。(略 佐藤)
2 爆発時には放射線が放出され、それは、(人間が遮蔽物によって保護されていなければ、)半径1マイル以内で損傷を与え、半径約10分の6マイル以内では致死的となる。
3 爆発後、強度の放射性物質が生成される。(略 佐藤)
B 爆弾投下の状況がどうであれ、初めの活性物質ないしは放射性生成物が、目標のすぐ近くに大量に堆積されることは通常ありえない。しかし、爆発時に放射される放射線が、目標地域でこれを浴びた人間に影響を及ぼすのは言うまでもない。
(略 佐藤)『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
原子爆弾が通常兵器と違った特徴を持つことをオッペンハイマーは述べている。
放射線がその後の被害者の苦しみとなることも予想されている。
しかし、予防策として出されている策は次の3つである。
C 実際的には、次の3つの予防策を講じなければならない。
1 航空機は、放射線を避けるために、爆発点から〔必要〕最小限の距離を保たなければならない。(略 佐藤)
2 追尾機は、放射能雲への接近を避けなければならず、また、最初の爆発から数時間以内に当該空域に入ろうとする場合には、放射能の広がりと性質を決定するための測定が必要であろう。
3 雨が降った場合はもちろんのこと、たぶん降らない場合にも、多少の放射能が目標地域周辺の地上に降下するかもしれない。最初の爆発から数週間以内にその地域に立ち入ろうとする場合には、測定が必要であろう。予想としては、立ち入ってもまったく安全であるという測定結果が出るであろう。
J・R・オッペンハイマー『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
日本人に対する予防策は全くない。日本人をなんと考えているのだろうか。
第三回会議では、原爆投下に際して最終的な決定がなされた。
資料153 目標検討委員会第三回会議議事録 ワシントン 1945年5月28日
(略 佐藤)
c スターンズ博士が、京都、広島、新潟に関する資料を提出し、次の結論が出された。
(1)目標地点を特定せず、気象状態が明らかになる時点で基地に後日の決定を委ねる。
(2)精密照準目標としては工業地域の位置を無視する。
前記の三目標については、工業地域が小さく、市街地の外辺に広がり、完全に分散しているからである。
(3)選定された都市の中心部に最初の特殊装置を投下するよう努力する。すなわち、完全な破壊のために、さらに一個ないし二個の特殊装置を使用することは計算に入れない。 『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)
『(3)選定された都市の中心部に最初の特殊装置を投下するよう努力する。
すなわち、完全な破壊のために、さらに一個ないし二個の特殊装置を使用することは計算に入れない。』
これは、完全に国際法を無視していると考えられる。
そして、1945年7月24日。特殊爆弾(原子爆弾)の命令書が出された。
資料221
一般参謀部J・N・ストーン大佐からH・H・アーノルド陸軍航空隊総司令官にあてた覚書 1945年7月24日
主題-グローヴズ計画
1 特殊爆弾の使用による最初の攻撃の関する左記の計画ならびに予定期日が策定された。
a 最初の爆弾(砲身型)は、8月1日から10日までの間に投下の準備が完了する予定であり、計画としては、準備完了後の最初の好天日に投下する。
b 広島、小倉、新潟および長崎が目標として選ばれている。
『資料 マンハッタン計画』山極晃ほか(大月書店)