南京事件の真実
【メディアリテラシー】
プロパガンダに負けない日本人の気概を育てる。
1 南京事件とは
向山洋一氏は、南京事件について次のように述べる。
例えばこういう事件もあります。「南京大虐殺」です。戦争中ですからたくさんの人が死んだでしょう。
日本人が暴虐、残虐な非道をしたということも曲げられない事実です。
しかし、最初あそこで四〇万人の人が殺された。あるいは、国連の裁判の中では、二〇万人、一〇万人といろいろ数が出ました。
数が問題でないと言う人がいますが、でも結構それは問題であります。
個々の局面の中では。
『新教育課程の授業づくりQA事典』(明治図書)p66
極東国際軍事裁判で裁かれた「南京大虐殺」が、中国そしてアメリカのプロパガンダとして日本の国益を損なっている。「靖国問題」「教科書問題」などがこれにあたる。子ども達に「南京大虐殺」とは何か、当時の日本人の気概を持って示す授業を提案する。
2 法則化解散合宿in箱根での模擬授業(7分)
レイプオブ南京という本です。1937年12月。中国の南京を占領した日本軍が行ったとされる「南京大虐殺」について書かれています。
次のようなことが書かれています。
少なくとも、100人の男が、目をえぐり出され、耳と鼻をそがれてから、火炙りにされた。また、別の200人の中国人兵士や市民は、裸で学校の戸や柱に縛り付けられ、zhuizi(ジージー?)と呼ばれる柄のついた特別な針で口やのどや、目など何百箇所も突かれた。
写真を見ます。
(フラッシュで提示)
発問:写真を見た感想。
(3人に聞く)
この本は、アメリカで発売されます。
発問:本を読んだアメリカ人は、日本人のことをどう思ったでしょうか?ノートに書きなさい。
(3人に聞く)
「レイプオブ南京」は、アメリカで10万部以上も売れ、ベストセラーになります。詳しく見ていきます。
(「レイプオブ南京」の連行している写真)
発問:何をしているところに見えますか。(2人に聞く)
説明には、こうあります。
日本軍は何千人もの女性を駆り立てた。彼女らのほとんどは強姦されるか、従軍慰安婦にさせられた。(台北、軍事委員会政治部)
しかし、この写真の出どころは、『アサヒグラフ』1937年11月10日号でした。
前の女の子は、笑っています。
説明は次のようです。
次の写真もあります。
(「レイプオブ南京」の赤ちゃんの写真)
発問:写真を見た感想。
これにも続きがあります。
赤ちゃんは一人ではなかったのです。
他にも捏造する写真ばかりでした。新聞報道です。今までに誰が、どこでがはっきりした「南京大虐殺」の写真は一枚も無いのです。
当時の朝日新聞が撮った写真はあります。
1937年12月17日の南京の写真です。
兵隊さんの買い物
皇軍入城に安堵して場外の畑を耕す農民達
皇軍に保護される避難民の群
和やかな床屋さん風景
発問:感想をどうぞ。
レイプオブ南京に戻ります。次の新聞記事がのっています。
我が兵士に護られて野良仕事より部落にかえる日の丸部隊の女子供の群れ
百人斬り超記録 向井106-105野田
両少尉さらに延長戦
野田「おい、俺は百五だが貴様は?」
向井「俺は百六だ!」
両少尉は「アハハハ」
結局いつまでにいづれが先に百人斬ったかこれは、不問
結局「じゃ、ドロンゲームと致そう。だが改めて百五十人はどうじゃ」
(向井少尉は)「俺の関の孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろとも唐竹割にしたからじゃ」と飛来する敵弾の中で百六の生き血を吸った孫六を記者に示した。
この記事が証拠となって二人は南京の軍事裁判所に送られます。
しかし、実はこの記事は、創作だったのです。無実を主張しますが聞き入れられません。
二人はどのような気持ちで処刑されたでしょうか。
(3人に聞く)
向井敏明さんの遺書は次のようなものでした。
日華親善、東洋平和の因ともなれば、捨て石となり、幸いです。とあります。
日本と中国の親善を願って死んでいったのです。
しかし、二人は、現在でも中国にある南京大屠殺紀念館で南京事件の実行犯とされています。
授業を終わります。
以上の授業を「法則化解散合宿in箱根」で行った。
4 反省
しかし、次のような反省が出てきた。
反省
1 時間をオーバーしたこと。
2 授業が自分の物になっていない。
3 子役の先生たちに目が届いていない。
4 資料の作成が無かった。
5 言葉が確定していなかった。
例えば、発問。言い換えが可能な発問であった。
言葉の並び、同じ言葉を何度もいわないなどの削りが必要。
6 途中でノートを見てしまった。
7 余裕が無い。
8 しゃべりが遅すぎる。
9 リズムとテンポがバラバラ。
10 教材研究に欠ける。
11 腹の底からの手ごたえが無い
12 必然性の少ない言葉があった。
13 メディアリテラシーの押さえが無い。
例えば、次のような発問をする。
「写真・新聞・本は、何に気を付けて見るべきですか。」
14 わざと赤ちゃんが一人の写真を使いました。どうしてですか?
15 (赤ちゃん一人・赤ちゃんのそばに大人)どちらが戦争の悲惨さを表しますか?
16 新聞のうそであったことの証明が少ない。
17 声が悪かった。後ろまで届かない。語尾が消えて聞こえない。
と言うことで代案を示して、TOSS熊本解散模擬授業大会に臨む。
5 代案
変更1
>次の写真もあります。
>(「レイプオブ南京」の赤ちゃんの写真)
>写真を見た感想をどうぞ。
>これにも続きがあります。
>赤ちゃんは一人ではなかったのです。
変更2
>しかし、朝日新聞の取った写真はあります。
>1937年12月17日の南京の写真です。
>兵隊さんの買い物
>皇軍入城に安堵して場外の畑を耕す農民達
>皇軍に保護される避難民の群
>和やかな床屋さん風景
写真を変更する。もっと平和な様子がわかるもの。
(「南京事件」日本人48人の証言の中から抜粋)
変更3
>この記事が証拠となって二人は南京の軍事裁判所に送られます。
>しかし、実はこの記事は、創作だったのです。
>無実を主張しますが聞き入れられません。
佐藤振寿さん(二人を写したカメラマン)の証言を述べる。
よく聞けば、野田は大隊副官だから、
中国兵を斬るような白兵戦では作戦命令伝達などで忙しく、
そんな暇はありません。
向井も歩兵砲の小隊長だから、
戦闘中は距離を測ったり射撃命令を出したり百人斬りなんてできないのは明らかです。
軍刀修理の専門家は言います。
日本刀で3人も斬れば、どんな名刀でも刃こぼれし、刀身は折れ曲がり、柄ががたがたになる。まして、「鉄兜もろとも唐竹割り」などということは、木刀でマキを割るのと同様に物理的に不可能。
変更4
ノートに書かせる場所を、限定する。
場所は、
どのような思いで処刑されたのでしょうか?予想で構いません。
ノートに短く書きなさい。
変更5
「写真を見るときは、何に気をつけますか?ノートに一つ書きなさい。書けたら起立。」を「百人斬り」新聞報道を見せる前に追加する。
6 第4回TOSS熊本模擬授業大会での指導案
レイプオブ南京という本です。1937年12月。
中国の南京を占領した日本軍が行ったとされる「南京大虐殺」について書かれています。
次のようなことが書かれています。
少なくとも、100人の男が、目をえぐり出され、耳と鼻をそがれてから、火炙りにされた。また、別の200人の中国人兵士や市民は、裸で学校の戸や柱に縛り付けられ、zhuiziと呼ばれる柄のついた特別な針で口やのどや、目など何百箇所も突かれた。
写真を見ます。
(フラッシュで提示)
発問:写真を見た感想。
(3人に聞く)
この本は、アメリカで発売されます。
発問:本を読んだアメリカ人は、日本人のことをどう思ったでしょうか?(3人に聞く)
「レイプオブ南京」は、アメリカで10万部以上も売れ、ベストセラーになります。
詳しく見ていきます。
(「レイプオブ南京」の連行している写真)
発問:何をしているところに見えますか。(2人に聞く)
説明には、こうあります。
日本軍は何千人もの女性を駆り立てた。彼女らのほとんどは強姦されるか、従軍慰安婦にさせられた。(台北、軍事委員会政治部)
しかし、この写真の出どころは、『アサヒグラフ』1937年11月10日号でした。
前の女の子は、笑っています。
説明は次のようです。
次の写真もあります。
(「レイプオブ南京」の赤ちゃんの写真)
発問:写真を見た感想。
同じ場所で撮った写真です。赤ちゃんは一人ではなかったのです。
発問:どうして最初の写真を使ったのでしょうか。(3人に聞く)
他にもやらせの写真ばかりでした。新聞報道です。
今までに誰が、どこでがはっきりした「南京大虐殺」の写真は一枚も無いのです。しかし、誰が、どこでがはっきりした南京の写真はあります。
1937年12月17日の南京の写真です。
兵隊さんの買い物
皇軍入城に安堵して場外の畑を耕す農民達
皇軍に保護される避難民の群
和やかな床屋さん風景
発問:写真を見るときは、何に気をつけますか?ノートに一つ書きなさい。
次のような新聞記事が報道されました。
我が兵士に護られて野良仕事より部落にかえる日の丸部隊の女子供の群れ
百人斬り超記録 向井106-105野田
両少尉さらに延長戦
野田「おい、俺は百五だが貴様は?」
向井「俺は百六だ!」
両少尉は「アハハハ」
結局いつまでにいづれが先に百人斬ったかこれは、不問
結局「じゃ、ドロンゲームと致そう。だが改めて百五十人はどうじゃ」
(向井少尉は)「俺の関の孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろとも唐竹割にしたからじゃ」と飛来する敵弾の中で百六の生き血を吸った孫六を記者に示した。
この記事が証拠となって二人は南京の軍事裁判所に送られます。
しかし、実はこの記事は、創作(ウソ)だったのです。
二人を写したカメラマンの佐藤振寿(しんじゅ)さんは次のよう言います。
よく聞けば、野田は大隊副官だから、中国兵を斬るような白兵戦では作戦命令伝達などで忙しく、そんな暇はありません。向井も歩兵砲の小隊長だから、戦闘中は距離を測ったり射撃命令を出したり百人斬りなんてできないのは明らかです。
軍刀修理の専門家は言います。
日本刀で3人も斬れば、どんな名刀でも刃こぼれし、刀身は折れ曲がり、柄ががたがたになる。まして、「鉄兜もろとも唐竹割り」などということは、木刀でマキを割るのと同様に物理的に不可能。
無実を主張しますが聞き入れられません。
最後の望みは記事を書いた浅海一男記者が「記事は創作」と認めることだった。
裁判中、家族は、必死に頼んだ。だが浅海記者は、「創作だ」とは決して言わなかったのです。
昭和23年1月28日 南京 右花台で二人は処刑されました。
発問:二人はどのような気持ちで処刑されたでしょうか。ノートに書きなさい。書けたら起立。
(3人に聞く)
向井敏明さんの遺書にはこう記されていた。
辞世
我ハ天地神明ニ誓ヒ
捕虜住民ヲ殺害セルコト全然ナシ
南京虐殺事件等ノ罪ハ
絶タイニ受ケマセン
死ハ天命ト思ヒ日本男士トシテ
立派ニ中国ノ土ニナリマス
然レ共魂ハ大八州ニ返リマス
我ガ死ヲ以テ中国抗戦八年ノ
苦杯ノ意恨流レ去リ
日華親善東洋平和ノ因トモ
ナレバ捨石トナリ幸デス
中国ノ御奮斗ヲ祈ル
日本ノ敢奮ヲ祈ル
中国萬歳 日本萬歳
死シテ護国ノ鬼ニナリマス
天皇陛下萬歳
日本と中国の親善を願って死んでいったのです。しかし、二人は、現在でも中国にある南京大屠殺紀念館でやってもいない南京大虐殺の実行犯とされています。
授業の感想を聞きます。
10分と言うことで少し長めに作っている。
この向井氏の話には、続きがあって幼い二人の娘は世間から冷たい目で見られて育つ。
それから20数年後。朝日新聞社の本田勝一氏が『中国の旅』を出版してから一家はバラバラにされた。
『中国の旅』には向井・野田の両氏が実名でしかも「百人斬り」の作り話をさらに殺人ゲームにまで表記を誇張した。
このような歴史がついこないだまであっていたのである。
メディアを見抜く教育が必要である。